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土屋 龍一郎

つちや りゅういちろう

1961年(昭和36年)9月16日生まれ
長野市で生まれ育って60年
長野市妻科(第四地区)在住

趣味はスポーツ全般(マラソン、サッカー、バスケットボール)とバンド活動(ベース・ギター・ドラム・パーカッション)、読書、芸術鑑賞など。
大学卒業後に帰郷し、家業の株式会社ツチヤ・エンタプライズ(現・株式会社北信臨床)に入社。新規事業開発を担うとともに、1998年には公益社団法人長野青年会議所理事長として、長野冬季オリンピックの大会成功のために尽力。
2001年には、公益社団法人日本青年会議所の会頭に就任。全国約52000人の会員とともに活動し、日本中、世界中に多くの同志を得る。
2012年からは、長野市の株式会社エムウェーブの代表取締役社長として、エムウェーブ、ビッグハットなどのオリンピック施設の経営を担う。2016年度には、エムウェーブ史上最高益を達成。2017年6月表取締役社長を退任。
2017年、長野市長選に立候補。52,812票獲得/(全体)122,590票と43%の支援を頂くも落選。
現在は長野市内にて市内各地域の声を尋ね歩きながら課題を見出し、「長野市未来創造宣言」に向け、多くの各地域代表者や次世代者と共に模索しています。
 

経歴・職歴

◆出身校
みかさ幼稚園(長野市石渡)
長野市立朝陽小学校 入学後転校
信州大学教育学部附属長野小学校 卒業
信州大学教育学部 附属長野中学校 卒業(バスケットボール部所属)
長野県長野高等学校 卒業(サッカー班所属)
成蹊大学法学部 法律学科 卒業(軽音楽部、サッカー同好会所属)


◆職歴
株式会社ネクストップ 代表取締役会長 
株式会社北信臨床 名誉顧問
元株式会社エムウェーブ 代表取締役社長
元土屋薬品株式会社 監査役
元株式会社マチルダ 代表取締役社長

 

社会・文化的活動

1998年
公益社団法人 長野青年会議所理事長として、長野冬季オリンピック表彰式会場に関わる全ての業務に携わる。
2001年
公益社団法人 日本青年会議所会頭(第50代)に就任し、全国約52000人の会員と交流を深める。
2008年
株式会社長野県民球団 信濃グランセローズ設立に際し、代表発起人を務める。
2012年
長野市スケート協会理事長として活動。
2016年
長野アメリカンフットボール協会会長として活動。
2019年
一般財団法人茶道裏千家淡交会特別参事 長野県支部支部長としてお茶の普及に取り組む。

 

その他経歴

1998年 公益社団法人長野青年会議所 理事長
2001年 公益社団法人日本青年会議所 第50代会頭
2002年 FM長野 番組審議委員
2007年 信州大学教育学部附属長野中学校 PTA会長
2007年 長野清泉女学院高等学校 PTA会長
2007年 長野県私立高等学校連合会 会長
2008年 株式会社長野県民球団 監查役
2009年 信州大学教育学部附属長野中学校学校評議員
2010年 長野県長野高等学校 PTA会長
2010年 信州型事業仕分け 仕分け人、県民協働による事業改善 点検者
2011年 信濃グランセローズ後援会 Clubセローズ81名誉会長
2012年 長野市スケート協会 理事長
2012年 長野県スケート連盟 常任理事
2014年 長野市スポーツ推進審議会 会長
2014年 長野清泉女学院高等学校 親泉会会長
2015年 特定非営利活動法人 NINJA Project副代表
2015年 長野銀座商店街振興組合 副理事長
2016年 長野アメリカンフットボール協会 会長
2016年 長野県観光機構DMOアドバイザー
2016年 長野県スポーツコミッションアドバイザー
2016年 公益財団法人長野市スポーツ協会 理事長
2016年 長野市観光推進審議会 委員
2019年 一般社団法人茶道裏千家淡交会 特別参事 長野県支部支部長
2020年 スペシャルオリンピックス日本・長野 理事

 

 

とにかくチャレンジ!

20代は実家の新規事業開発を担当し、朝から晩まで働いていました。
医療関係の臨床検査受託業に加え、DCブランドのブティックを長野・松本・新潟で30店舗展開したり、とにかくチャレンジに燃えていました。
写真はその頃のモノです。
 


 

子育てに全力!

妻と3人のこどもたち(一女二男)を育てました。個性豊かな彼らと過ごした時間はとても楽しく、私自身たくさんのことを学びました。写真は、自称“イクメンパパ”だった頃の様子。
こどもたちと一緒に遊ぶのが大好きでした。中学校や高校ではPTA会長としても活動させていただき、教育について深く考える素晴らしい機会をいただきました。
 


 

経験は世界中・日本中!

公益社団法人日本青年会議所(日本JC)では、2001年に会頭に就任し、全国の仲間と活動を共にする機会を頂きました。日本中・世界中に同志が出来たことは、私の大きな財産です。思い出深いのは、2001年の9月11日のこと。私はニューヨークの国連でスピーチをする予定でしたが、現地で9.11同時多発テロに巻き込まれてしまい予定はキャンセル。
いつか再びこのスピーチをしたいという私の願いを聞いたJCIおよび日本JCが、2008年7月29日にチャンスをくれ、その時に頂いた記念のペン(写真)を、今でも大切にしています。
 


 

豊かな経験を長野市で!

日本JCの活動などがひと段落した40代には、長野県民球団信濃グランセローズの設立発起人、長野市スケート協会会長、長野アメリカンフットボール協会会長などの社会活動に取り組みました。
長野のスポーツ振興に貢献できることが生き甲斐の一つになりました。
写真はグランセローズのユニフォームを着て、なぜか自信満々な表情になってしまった私です(照笑)
 


 

音楽って素晴らしい!

中学の時にギターを始めて以来、楽器が好きで、今はギター、ドラム、ベースなんでも楽しく弾きます。
日本青年会議所の活動などがひと段落してからバンド活動を再開し、2010年に開催された「第1回おやじバンドフェスティバルinNAGANO」では見事に優勝!
写真はその様子。音楽って、本当に素晴らしい!